この連載では、福島民報社の朝刊にて6回に渡り掲載された株式会社SATORU 海野によるエッセイを、写真を交えて改めてご紹介させて頂く企画です。
第3回では、「ゆとり世代」と呼ばれたサラリーマン時代の疑問と、「歩み寄る」ことの大切さについて考えた事についてのお話しです。
1.藁をも掴む思い。
「ゆとり第一世代」や「新就職氷河期世代」など、1987年(昭和62)年の私が生まれた年代はいろいろな呼ばれ方をしました。そんな時代の真っただ中にいながら、自分が「ゆとり世代」だと初めて自覚したのは、就職氷河期にわらをもつかむ思いで入社した最初の企業でのことでした。
学生時代はサークル活動やアルバイトにいそしみ、本業をおろそかにする典型的な不真面目大学生でしたが、そうでなくとも当時は学生にとって内定を得るのに大変不利な状況で、希望する業界に就職するために自ら留年するという道を選ぶ人も少なくありませんでした。留年している余裕もない私は、希望の道は諦め、ひとまず社会人経験を積もうと内定をもらった企業に無心で飛び込んで行ったのです。
2.違和感を感じた世代カテゴライズ。
社会に出た若者は、理想と現実のギャップに衝撃を受ける「リアリティショック」にぶつかるそうですが、それと同時に「ゆとり世代」という肩書による違和感にも遭遇しました。
「ああしたい、こうしたい」と仕事を効率化するための話をすると、「さすがゆとりだねぇ」と皮肉交じりに言われました。「なるほど、これがゆとり世代にカテゴライズされる考え方なのか」と違和感を感じたのが印象的でした。同世代の人と話すと共感できることが、世代が違うだけでこれほど考え方が違うものかと驚いたのです。
そういう風に呼ばれるようになったのは当時の教育方針が由来で、自分たちが意図的になりたくてなったわけではありません。
私は「ゆとり世代」という言葉自体に嫌悪感こそ抱いたことはありませんが、「そういう時代に生まれたんだな」と認識する材料にはなったのだと思います。それでも当時はやはり、「理解しようとせず歩み寄らない姿勢はもったいないな」という感情が芽生えていました。
もちろん皮肉を言う人ばかりではなく、ユニークな人も多く楽しい職場でした。特に社長は「新人にもっと重要なことをやらせろ、新卒でも即戦力だ」という考え方の人。そんな計らいもあり、仕事は面白く、知識が自信につながっていくということを実感することができました。
3.世代を超えて、歩み寄る。
世代を超えて共有できるということは素晴らしいことです。子どもの頃に頑固だった父が少しの間だけ一緒にテレビゲームをしてくれたこと、母が会員制交流サイト(SNS)に興味を持って「教えてほしい」と言ってきたことも、面倒くささよりも「よし!」という気分のほうが勝りました。
また、昭和村に来てからはおじいちゃん、おばあちゃんに教えてもらう畑仕事も料理も楽しみです。知らなかったことや経験していないことは、自分自身を豊かにするヒントが隠されているはずです。世代が違うと敬遠したり、決めつけて理解しようとしないことは、当時感じたような違和感を思い出します。
新しい文化や技術は積極的に興味を持っていきたいと思っています。そしてこれから先の時代を担っていく子どもたちに対しては、自分たちの生きてきた時代を振りかざすのではなく、お互いに歩み寄ることを大切にできればとも考えています。
(※この記事は、2019年2月15日に福島民報社にて掲載された記事の転載となります。)
◆第1回 『住めば都』。
◆第2回 『秘密基地づくり』。
◆第4回 『当たり前を疑う』。
◆第5回 『地元を想う』。
◆第6回 『宝探し』。