この連載では、福島民報社の朝刊にて6回に渡り掲載された株式会社SATORU 海野によるエッセイを、写真を交えて改めてご紹介させて頂く企画です。
SHARE BASEに纏わる事から昭和村に移住して感じた事、個人的な考え方など、各回のテーマごとにお送りしています。全6回、不定期に掲載していきますのでお見逃しなく!!
1.環境を変えるという最善策。
新しい環境に身を置くことは、生まれ変わった自分と出会うような感覚と少し似ているような気がします。行き詰まったり、思考をリフレッシュしたりしたい時には、その場でくすぶらずに環境を変えることが最善だったりすることがあります。
私が所属するSATORUは、2017(平成29)年5月より、昭和村に拠点を構えています。ウェブマーケティング事業と地域活性化事業を主軸とした、学生時代の友人三人で運営する少人数の企業です。敷地内には、民泊を運営し始めた母屋と、三人の生活拠点とメインオフィスを兼用する離れの家があります。
昭和村は山々に囲まれた村です。コンビニはおろか、大きなスーパーもドラッグストアもありません。一方、インターネット環境は想像以上に充実しており、それを活用した事業を基幹とする我々にとっては、十分な環境が整っていました。それでも、日本有数の豪雪地帯に拠点を構えるには大変な苦労がありました。
2.拠点の整理で室内アウトドア?!
移住前のまだ昭和村に雪が残る2017年3月ごろ、生活の拠点となる離れの家を整理しに来た時には、ライフラインは整っておらず、1メートル近く雪に埋もれた水道の元栓を探していただくなど、役場の担当の方には大変な苦労をお掛けしました。誰も知らない自分たちに「大丈夫か?」と親切に声を掛けてくれる村の方もいらっしゃいました。
もちろん一日では離れの家の整理が終わらず、電気も付いていない中、日は暮れていきます。それでも往復7時間強かけて帰るのはつらい。その日は持ち前のアウトドア用品を駆使し、ランタンで明かりを取り、寝袋を室内に広げて一夜を過ごしました。サバイバルのような状況と、これから待ち受ける未知の暮らしに高揚していたのが昨日のことのように思い出されます。
3.不便が生んだ忘れ得ぬ日々。
引っ越しを終えてからも、風呂を直すまでの約3週間は近隣の無料村民浴場に通う日々でした。終了時刻までに、毎日三人でいそいそと風呂へ向かったのをとてもよく覚えています。
移住して初めての冬には、予想よりも早い大雪の洗礼になすすべもなく、広い敷地をスコップとスノーダンプのみで必死に除雪しました。年末年始にそれぞれが帰省先から戻ると、改修中の母屋の水道管が破裂し、家の中が水浸しになっていたこともありました。しかし、不便を理由に逃げ出したくなったことは一度でさえないのです。
4.なにより「誰」と「何を」するか?
私にとっては、場所よりも「誰」と「何を」するかが重要です。あらゆる不便や日常の困りごとも、誰かと協力して工夫を凝らせば乗り越えられると思うからです。それは遊びにおいても仕事においても、です。「住めば都」とはよく言ったもので、誰のことも知らない場所に来ても、いつしか自分なりに住みやすくなっていくようです。
高齢化率65%の村でも、元気なお年寄り、まっすぐに育つ子どもたち、豊富な地域の資源と、風雪に耐えて受け継がれた暮らしと技があります。昭和村を「伸びしろのある村」と表現させていただいたことがあります。新しいことを始めようとしていた自分たちと、雪化粧した昭和村の風景が真っ白なキャンパスのようにも思えたものです。
(※この記事は、2019年1月5日に福島民報社にて掲載された記事の転載となります。)
◆第2回 『秘密基地づくり』。
◆第3回 『世代を超えて歩み寄る』。
◆第4回 『当たり前を疑う』。
◆第5回 『地元を想う』。
◆第6回 『宝探し』。